だから控えようかなーって

どうも〜。まいどです〜。暑い日が続いてしまいにゃ溶けるぞ、コノヤロウなpapaです。なんか参加者(2chの絵スレ)がどえらい事増えてあたしどーしましょ、な昨今ホントにどーしましょ。ま、マイペースでやってっかな。7月中にマンガ一本上がるんかいな、マジで。

言わんこっちゃない。

えーと、エロゲとかについて前に書きましたけど、その後のブクマコメント(はてな特有の機能です)でゴチャゴチャ言ってて「あー、そのうちドカーンとなんか言われるだろーなー」と思って控えようとしたらトラバが飛んできました。ヒィ〜はてな怖いよ、はてな
フィクションと現実をごっちゃにしないというのは大変難しいことを知った。(追記あり) - U´Å`U
まずはpapaさんのブクマコメント


id:KIM625 それでも。奥歯を軋ませながらでも。表現の自由を守らなきゃならない。
だからこそそういうヤツらは言論で叩かなきゃならない。力を込めて。 2009/06/28

そしたら、お返事が来てました。


殴らなきゃいけないのはアホな立法府と司法なのであって、個人を殴っても無意味じゃないでしょうか。
殴られた方が「殴られたから表現の自由が大事なことがわかりました」と思うはずはない気がします。
あ、優しい。でもなんかズレがある気がするデス。いや、もしかしたらズレてるのはpapaさんかもしれんですが。
papaさんが叩く!と力んでる相手は立法府やらではありません。個人といえば個人ですが、個人だからこそ、でもあります。わかりにくいね。ぼやかして書いてるからね。w

得意な分野に置き換えよう。

コレ大事。でも伝わりにくくなる可能性もある、両刃の剣。そういえばダガーナイフも今、刀狩りにあってますね。ナイフファンの心情はお察しします。ダガーナイフの造形は美しい。目的を絞られた物特有の美しさがあるよね。
さて、papaさんはホロコースト否定論というヘイトスピーチとドツきあいしたりしてますが、この否定論を法規制することには反対です。それはやはり「表現の自由」に反する行為だから。だからって擦り寄ってこられても困る。思いっきりドツきあげて差し上げます。ホロコースト否定論なんてウソもいいとこですが、ウソをいう自由もあります。例えそれが大衆を惑わす言論であったとしても。ただし、それには「対抗する言論」が置かれる必要がある。自らの中に対抗する言論を置いて欲しい。「ホロコースト肯定論に対するカウンターとして否定論が必要だ」てな世迷いごとをヌかすヤツもドツき上げて差し上げたい。なんで歴史学にカウンターとしてウソが必要あるのか、説明しなさい。てなグワイにドツきます。世間様が「あー、ホロコースト否定論ね、はいはい」てなるまで、ドツいて行きたいですね。それが言論の自由て物だろう、と思いますんで。自分が「間違ってる!」て思うのに、その意思を表明できない状況は「表現の自由」に反してるんじゃないかな?

海外での法規制

有名な話ですが、ドイツではホロコーストを否定すると罪に問われます。旅行の際には気をつけて。
ドイツ刑法131条○第三項
「ナチ支配のもとで行われた、刑法第二二〇a条(民族殺戮)第一項に示された行為を、公共の平和を乱す形で、公然とまたは集会において容認し、また事実を否定したり矮小化した者は、五年以下の自由刑または罰金刑に処せられる。」
という刑法があるんですな。でも、よく読めば処罰される対象は限られているのが解ると思います。別に個人でぶつぶついったり、学問として研究したりする分には捕まりまへん。でもね、これを逆手にとって宣伝するヤツらがおるんです。「ドイツでは自由にホロコーストの研究はできない」てやつですね。法規制したがために、宣伝に使われる、さらに否定論が活気付く、という本末転倒なことが起きています。フランスでも同様に「民族差別的発言」を禁止するゲーソ法というのがありますが、(papaさん、あんまり詳しくないですが、やはり暴力や暴動に結びつかなければ罪には問われません)同じく、宣伝強化に一役かってます。随分以前から問題視はされてたんですけどねぇ。こういった弊害がヘイトスピーチの法規制にはあります。また、規制したが為に対抗する言論までもが規制対象化したりもします。

ネットでのヘイトスピーチの現状

最近でもありましたね。「虐殺される人の気持ちはワカラン」発言ね。これが、歴史修正主義者ではないと自ら語る人達から出た発言であることに、papaさんは衝撃を受けたです。んで聞かれるワケです。「ほんじゃあお前は殺される人の気持ちが解るのか!」ワカランですよ?でもそれを虐殺事件を語っている場所で、口に出して発言することが、どんな事態を招くのかはわかりますよ?id:gkmondoさんのブクマでもありましたね。「猫虐待妄想ひどいなー。妄想だからって言われてもナー」て言ってるところに「オレ、平気」て。「あ、そう」以外にどう反応しろと。人の思考を止める行為でしょ、それ。わが身に引き付けて思考できないんだなぁ、て思います。それ以外にも、叩き合いを見たくない、という理由で発言を止められる場合があります。papaさんの経験で申し訳ないけど、某SNSでホロコースト論争になった時、否定論が書くだけ書いた状態で、反論を書き込む前に「議論禁止です」と言って、ザバーっと削除された事があります。これじゃあナニが正しくて、ナニが間違いかワカランじゃないか、と思いましたが規則ですからしかたがナイですな。待てや。しかたがなくはないじゃろ。これって表現の自由の侵害じゃん!対抗する言論が発信できないじゃん!

本題に戻る。

エロゲ規制問題にしても、です。「ゲームに描かれる女性への暴力は現実と関係ない」て意見も散見しますが、papaさんは前にも書いたけど、「んなワケないじゃろ」て思います。ゲームに描かれた暴力は現実の暴力を表した物(表象する、て言います)でしょ?違うの?まったく独自に創造されたものですか?違うでしょ?ウソを言っちゃあイケマセン。現実にある女性に対する暴力を表象したものなんですよ、それは。「エロゲに関わる者だけが何故、性暴力に意見を表明(コミットする、て言います)しなきゃならんのか」て意見もあります。とんでもない、エロゲとして表象した時点で、すでにコミットしてるんですよ。問題になったからって逃げるワケにはいかんでしょう。「なんでエロゲだけ」という意見にはpapaさんは前にも書いたけど「エロゲだけじゃない。問うならば全ての創作物に対して問われる必要がある」と思ってます。何故なら全ての創作物は現実を表象したものだから。ですから、エロゲを規制すれば、いずれ全ての創作物に規制が問われる事でしょう。例外はない。文学であっても、芸術であっても、学問であっても規制されることだってあり得る。先ほどのSNSの話でも解る様に、自由はこうして侵食されていきます。そこに善悪はナイ。線引きもない。だからそ、表現の自由は最大限守られなきゃイカン、と思います。例えそれが人身を惑わすウソであっても。

どうやって守るのか

では、表現が自由になされるとして、その影で泣く人はいないのか。いないワケがありません。表象された暴力が現実にある、ということは被害者がいるということだからです。創作物を見るたびに心を痛める人達。再び暴力の影に怯える人達を、どうすれば良いのでしょう。根本を考えませんか?表象した暴力が現実に無くなれば、性暴力の被害者はいなくなるんです。問題の根本は現実にある暴力なんです。それを表象するゲームじゃない。むしろ、これらは警鐘を鳴らす存在なんじゃあないでしょうか。法規制するなら現実の性暴力を。今の刑法なんてザルです。つい最近もありましたね、事件。関西であった事が悲しいですが。起訴猶予ですって。退学にもならないんですって。なめとんのか、わりゃ。まだありましたね。痛ましい事件が。また関西ですが。被害者は亡くなってるのに重罪でもないみたいですよ?どうなっとるのか。これをなんとかせいよ、とpapaさんは思うデスよ。強姦罪が成立するにも現在はハードルが高すぎる。「死ぬ気で抵抗しましたか?」てオニのする質問か。それこそ自分の娘に訊けるのか。意識があったらイカンのか。無い方がマシじゃい、こんなこと。こんな世間にエロゲに法規制が必要かどうか判断されたくないわ!


こほん。ちと取り乱しました。なんだっけ?あ、叩く相手ね。w 例えば二次被害という事についても考えて頂きたいとpapaさんは思います。先ほど書いた「再び暴力に怯える人」というのは確実に存在します。「ポストモダニズムホロコーストの否定」という本(ちょっとややこしい系の本です)の後書きに「否定論はマイノリティ(少数派てことです)からの声に対するマジョリティ(多数派と思ってもらうといいかも)からの悲鳴・攻撃である」という一説があります。ホロコーストを否定する事は、被害者をもう一度、アウシュヴィッツに送り込むことなんです。実例があります。世界はヒロシマを覚えているか(1)「ヒロシマ原爆も捏造だった?」 - mujigeの資料庫このエントリーのブクマコメントを見てもらうと、すごい反発を目にすることができるでしょ?同様の事が性暴力的エロゲを見た性暴力被害者にも起きるわけですな。こういう「女性に対する性暴力」「その二次被害」に言及すると、「エロゲ規制賛成派だ!こいつのいう反対なんてお為ごかしだ!」ていう意見も見ますけど、ならナニか?キミらウソ吐いてもええのんか?ウソで固めて表現守って。ナニやってんだ?てpapaさんは思います。
ついでに書くけど「たかが二次元、たかが紙に描いた絵」て言う人。マンガなめてんな?個人への影響力は計り知れんぞ?マンガの規制なんて、すごいこと歴史があるんだぞ?しってっか?エロジェニカ事件とか。三流エロ劇画ブームとか。宮崎事件以降のマンガへの表現規制なんてエゲツないぞ?そんだけ危険視される表現形態なんだよ、マンガは。マンガなめんなよ?おらおら。いや、今はちょっと覇気がないですけどね、規制に次ぐ規制に合ってるからしかたがない。マンガの表現の幅がそれだけ拡がっちゃったってことです。でも、以前の状況に戻すべき、とはpapaさんは思わないです。ここまで進んじゃった物はもとには戻らない、戻れない。中島みゆきの歌じゃありませんが、時の流れを止めて変わらない物を求めてもしかたがない。変わり行く時間の流れの中で変わらない物を探すほうがいいと思いませんか?まったく余計なお話でしたな。失礼しました。

まとめたいけどまとまんない。

で、本題ですがpapaさんが「力一杯叩く」と申しましたのは、エロゲ規制を進めたい人々ではございません。現実の女性への性暴力の逃げ道(スケープゴートとか言ったりします)としてエロゲやマンガを規制しようと考える人達や、エロゲを守りたいが為に根本である女性への暴力を見ないようにする人達、id:gkmondoさんのお話の筋(文脈とかいいます)にそって言えば、猫を虐殺・虐待したり妄想する人々です。7/3意見を参考に削除・訂正もちろん、それらの発言、表現する自由は守られなくちゃあイケマセン。しかし、それらに対抗する表現、言論もまた置かれなくてはなりません。例え、どんなに奥歯が軋むようなヒドい言論であっても、存在は認めなくちゃいけない。それを発信する自由は認めなきゃならない。ただ、そこにあるなら、それに反発するなら、それは叩かなくちゃいけません。決して法規制に頼っちゃいけません。それは自らの表現、言論をも塞いでしまう可能性のある「両刃の剣」、ダガーナイフだからです。
ん?この最後のまとめだけで良かったんと違うか?このエントリー。あれ?