僕の立っている場所

あー、年度末ですねー。社会人のみなさんは、決算やら転属やらでお忙しいことでしょう。学生のみなさんは、試験やらご卒業式やらで、これまた忙しくしてらっしゃることでしょうね。どっちもあんまり関係ないpapaです。どもー。
今日は、創作についてくだくだと語るので、興味ない人はトバして可かと思います。
ちょっと言葉遣い変わります。ゴメン。
僕が漫画やお絵かきを再開してから随分たった、と思う。2chのスレに参加して、年齢や指向の違った様々な人に触れることができ、今までに無く楽しい創作生活を送らせてもらっている。良い人達に出会えて本当に良かった。感謝している。

先日、友人と話しているとき、僕の趣味の創作についての話になり、その友人から「お前はいったいどこに向かっているんだ?なんだか軸がブレてきてないか?」と言われてしまった。確かに、日頃落書きとしてアップしている物なんかには、自分でも微妙なブレのようなものを感じない訳ではない。僕が指向しているのは漫画であり、その中でも割とニッチなジャンルである。漫画のジャンル分けには詳しくないので一言で説明できないのだが、先日の夢の跡地でも書いたように、過去のものになってしまったジャンルを僕は指向している。そして、作品としてここに上げた漫画にブレは無い、と断言できる自信はある。しかし、それ以外の落書きやイラストなどはそう言い切れないのも事実だ。僕は今、確実に周囲の志向に引っ張られている。
それは何故か。簡単な話、それが僕にとって「新しい刺激」であったからだ。今までの自分にない発想やデフォルメに対する感覚、新しい言葉にも触れた。ハンコ絵、などという言葉さえ僕は知らなかった。それに興味が湧けば、取り入れることに迷いは無い。どこかにも書いたが、取りあえずは乗ってみる。善し悪し判断はその後で間に合うと思う。

ただ、確かに変わってはいけないこともある。友人が僕に指摘したのもその点だと思う。
僕自身が漫画を描いている時は、溢れる言葉や線から相応しいものを選び、何も無い紙の上にそれらを置いていく。コマの形も配置も思いつくものの中から選んだものだ。考えてみれば「創る」作業は「削り落とす」作業に近い物がある。あるものを当てはめるのではなく、選び抜いて捨て去る作業なのだ。その時、僕は間違わずに選ばねばならない。同時に、選ぶ前には多くの選択肢が無くてはならない。新しい物を取り入れるとは選択肢を増やす事で、変えてはいけないものとは選ぶ目を揺らさないことなのだろう。手馴れた手法に甘んじてはいけない。しかし、移り行く自分を戒めることも忘れてはいけないのだろう。自分がどこに立っているのか、忘れないようにしたい。

スレの中で「発想が湧かない」「創作意欲が湧かない」という話が時々出てくる。僕はそういう時は描かなければいいと思っている。描く事は義務ではない。それでメシを食っている、というのでなければ、いいではないか。街に出たり、絵を見たり、遊べばいい。何かを吸収しなければ、枯渇してしまう。特に十代や二十代前半の人には遊んで欲しい。そして時代の空気を、身体一杯にため込んで欲しいのだ。それが創る力になる、と僕は思うのだ。創作とは追いかけるもので、追われるものではないと思う。偉そうだが、僕は自戒の念も籠めてほんとにそう思っている。