間違ったことを言うボクら。

http://h.hatena.ne.jp/tari-G/9259274805221033309
http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110111/p1
http://d.hatena.ne.jp/quagma/20110105/p1
などについて。トラバしたエントリー全てに異論は無いし、批判するつもりもありません。
ヘイトスピーチ表現規制」について自分の思考をまとめておくために。

ホロコースト否定論とその規制

私にとってヘイトスピーチのもっともたるもの、と言えばホロコースト否定論なわけです。そして、それはヨーロッパでは規制されている。その理由などは以前に書きました。

アウシュヴィッツの嘘 - PaPaのスローマンガライフ要約すれば「表現の自由といえど、国家政策として規制されることは有り得る」ということです。ではそれは効果的に実施されているのか。
結論としては、あまり機能していないということになると思います。今でもホロコースト否定論は衰えることなく、広まっているし、逆に「弾圧されている真実」という口実を与える結果にもなっています。
http://d.hatena.ne.jp/negative_dialektik/20090319/1237441294
ではホロコースト否定論は、表現の自由として認められなければならないのか。擁護されるものなのか。さて。

Zundel Judgement

1992年、カナダにおいて興味深い裁判が行われました。「ホロコースト否定論者」として有名なエルンスト・ツンデル(Ernst Zundel )が「600万人は本当に死んだのか?(Did Six Million Really Die? )」というパンフレットを配布したことの可否を問う裁判です。これには高名な歴史学者ホロコーストの証言者などが証人として呼ばれ、「ホロコーストの真実を問う」裁判の様相を呈していました。内容はこのあたりでも読んでください。http://revisionist.jp/holocaust_trial.htm
判決としては、一審、二審ともにツンデルの敗訴となりますが、ツンデル側は最終的に「言論の自由」を焦点に切り替えて裁判に臨み、勝訴を勝ち得ます。
http://www.nizkor.org/ftp.cgi/people/z/zundel.ernst/supreme.court/judgement.1992
「例えそれが間違いであっても、彼には間違ったことを発言する権利がある」「結果的に少数意見を圧迫しており,カナダの権利憲章に規定された言論の自由を侵害しているので(法律は)違法」ということです。
ただし、「それは虚偽の発言である」ことが証明されて後、のお話です。決して「ホロコースト否定論も擁護される発言である」と結審されたわけではない。「間違ったことを言うことが罰されてはいけない」というだけのお話です。つまり、私たちには「間違ったことをいう権利がある」

間違いは間違い。

ナニも複雑な話ではありません。「間違いが間違いと認識されているならば、それを言う権利は誰にもある」ということです。実害がなければ。
もちろん、間違いを「真実である」と流布することは「虚偽」です。デマゴーグとはそういうことです。ウソをいくら積み重ねても、それは真実にはなりません。ウソはウソです。
そして、それに「公的規制」をかけることは、「ウソを言う権利」を侵害することになります。
ではデマは放置されなければいけないのか。私たちが「法でのみ生きる」のならばそうでしょう。しかし、私は法に沿ってのみ生きているのではない。私には「間違いを間違いであると指摘」することができる。そして、それを、「対抗言論」を張ることでのみ、「間違いを言う自由」を公権力から守れるのではないか、と思います。
ホロコースト否定論」を間違いである、ウソである、とみんなが知っている状況でこそ、それをもてあそぶことができるのではないか、と思っているのです。