魔王と勇者と救われないボクら。

まいどー。アツイ日々がやってきそうですね。汗がぽたぽたたれると原稿が描きづらくなるんで、早いとこめに漫画描きたいな、と思ってるpapaです、どもー。
今、ネットで話題の(わぁ、ナツかしい響きのフレーズ)「まおゆう」を読んでみたので、感想を書いちゃうよ!

歌っちゃいかん歌なんかあるわけない。

まずは私、ラノベライトノベル)読まない人です。「しずるさん」シリーズとかちょっとは読みましたが。だからラノベのお作法とかわかんないで書いてます。
どうもこの「魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」」シリーズ、色んな意見が飛び交ってる戦場のような様子ですがあえて飛び込む。どぷーん。
私は一応最後まで読みました。しかし「薀蓄(うんちく)」部分は最初は細かく拾って読んでたんですが、途中からトバして読んでました。あんまり本筋と関係ないですよね?「あれこそが本筋」て言われるなら、それはそれで問題ですが。
私はこのお話の本筋は1スレ目でオシマイなんじゃないか、と思ってます。あとは付け足し。要するに「ドラクエ」に代表される「魔王対勇者」の構図をひっくり返してみたかった。その手法として経済論とか軍事論とか持ってきてみた、てことかと。んで付け足し部分も含めたテーマは無いに等しいなあ、てのが感想です。なんかそんな積極的に批判するほどのモンでもないんじゃないかな?私が構成として気にいらないのはテーマとする「丘の向こう側の景色」とそれに向かう方法が首尾一貫しないところ。お話の途中で何度も「どこを終わりにするかが問題だ」と繰り返されるのですが、おまえこそそれが問題だろうが、と突っ込み入れたくなる展開は何とかせんかい、と思いました。キツい言葉で書くと「思いつきでお話進めるんじゃねえよ」てとこですか。その割りにきっちり終わりまで書いたのはすごい。私なんぞは終わりを決めてから展開考えますから、こんなことできない。でも、終わったけど上手い展開じゃなかったと思います。
でもまあファンアートだからね、これ。そんなに目くじら立てて批判することもないし、そんなに持ち上げて褒めちぎるほどのことも無いかな、て。私は好きじゃないけど、そんな作品山ほどあるし、いちいち批判してたらキリがない。同時に私が好きな作品を気にいらない人もいるワケだし。
ただ、「まおゆう」内のウンチクこそが本質なのなら、それはそれで批判されなくてはいけない部分も確かにあります。

永遠の嘘と啓蒙主義あるいは歴史修正主義

現実には「世界を動かすシステム」なんてありはしません。世界を救えるたった一つのクールな方法が無いように。何度か書いて来ましたが、私は何かを見ないようにして生きている。そしてそれは「無かったことにされている」けれども、確実にそこにある。そしてそれを見ないことで「正しく回る世間」なんて「永遠の嘘」でしかありません。ただの嘘を「永遠の嘘」にするために、嘘はさらに上塗りされる。そこに棹を差す方法を考えることすら嘘なのかもしれない。そして今日も私には見えないところで「暴力」は振るわれ、「差別」される人々は涙を流している。「正しい事」が本当に正しいと誰がわかるのか、ということ。それを「正しいのだ!理屈に穴は無い!」と言い募ることは「永遠の嘘」ではないのでしょうか。理屈の正しさは何も担保しません。前提が嘘なのだから。
そういう意味で「まおゆう」の世界でいう理論は「正しさを装った嘘」になってしまっていて、歴史修正主義との類似性もそこにあります。
私が1スレ目を読んだ時に思い浮かべる「ホロコースト否定論」のサイトがあります。前知識無しに読めば、「うわ、ホロコーストって無かったのかも!隠された歴史の真実!」とか思っちゃうかもしれません。なんと言っても、現在の歴史学説の嘘を理詰めで検証しなおし、否定しているからです。その世界だけをみればカンペキにホロコーストは嘘です。
でもホロコーストは実際行われ、その傷跡は未だ癒えていません。
「理論がカンペキなのに嘘なワケが無い」とお思いでしょうが、前提が嘘ならそれをいくら積み上げても嘘です。実際、サイトが否定してみせる「ホロコーストとは600万人のユダヤ人が毒ガス(チクロンB)によって殺された事件」というのが嘘です。そんな学説は存在しません。嘘を否定してみせただけです。嘘に理屈を重ねてもそれは真実にはなりません。嘘は嘘です。どんなに飾りつけようとも。
「隠された真実」が簡単に知ることができるなら、それは隠されてもいなければ真実ですらありません。選ばれた人などいない。いる、という思想を選民主義と呼びます。
世界を救える経済理論が現れない限り、それを知らない限り、お話の中といえど理論で世界は救えません。まだ見た事のない景色は見たことのある理論では見られません。それを無理やり推し進めるから嘘に嘘を重ねる事になります。お話の途中でも何度も「私も知らない」と魔王は言いますが、それは言い訳にすぎません。だって実行してしまっているもの。そして嘘と供に言い訳も塗り重ねられます。最後には結局「神話と伝承」というRPGの世界に戻ってしまう。戻ったって構わないのですが、それまでの理屈はどこへ行ったんじゃい、という批判は避けられないでしょうね。実際、世界はグチャグチャになっちゃったし。もひとつおまけに最後も理屈でシメるし。
だから私はこの理屈と薀蓄の嵐は本質とは関係ない、と読みました。なに、世界の救いなんて簡単です。だって本家ドラクエではみんな幸せになるじゃないですか。妙な現実を持ち込まない限り。そうですね、経済論でファンタジーをひっくり返そう、て発想がマズかったのかもしれませんね。もっとソフトな方法もあったでしょうね。せっかく魔王が女の子になったんだから。そう、男の子と女の子はもっと理不尽じゃなくちゃイケマセン。
え?文系女子萌え?…まあそれはお好きにどうぞ。あなたもお好きですな。うふふ。
※注記:誤解があるといけないので。ここで言うお話はストーリー内の人物ではなく、作者その人のことよ。当たり前でしょ、創作なんだからお話の中ではなんとでもなりますがな。なんともしなかった(理論に拘ったと仮定する)のは作者です。

チャーリー・ブラウンだって世界を救う

「じゃあ、お前ならどうするんだよ」
そうですねぇ。私なら勇者はチャーリー・ブラウンにしちゃいましょうか。魔王はもちろんペパーミント・パティ。チャーリーは断りませんよ。女の子の言う事なら。「あなた、私を切るつもり?」そんなことしないよ、パティ。でも世界が困ってるんだ。「それはあなたのせいでしょ。あんたが私にいい影響を与えないからよ!」えええ、どうしてさ。「だれかのせいにしたいのよ!チャック!」ええええ、だったらボクはどうすれば「じゃあ、私と丘の向こうへ行きましょ?お昼も近いわ。」もちろん、パティはチャーリー・ブラウンとランチ・ピクニックがしたいだけです。ああ、どうしてこうなちゃうんだろ?セカイはどうなっちゃうのかなあ。サンドイッチを食べてる場合なのかしら?「あら、チャック。太陽の下ではニコニコしなきゃ、ランチがだいなしよ?」そして今日もサンドイッチはおいしいし、丘の上には涼しい風が通っているのでした。大丈夫、チャーリー。ご飯がおいしくて、賢いペットがいるってことは良いことさ。明日にはもっといいことがあるさ、そういうもんさ。