まあ、どうでもいいですわ、な。

なーんか今日はサブいですねぃ。気力っつーヤツが欠落ぎみのpapaさんでーす。まいどー。
東京の方面では非実在青少年がどーのこーの喧しい今日この頃ですが、そろそろウンザリしてきてます、わたし。
あんまり語りたくない気分。アンニュイなの。うふ。
先日来、ズルズル考えておったのですが「完成度の高い絵と絵柄」についてちらほら雑談を。

絵の完成度って

papaさん個人の意見なので異論は認めまくりなんですが、「完成度の高い絵」とはやっぱり「イメージの表現しきれている絵」だろうなあ、と思ってます。ほんじゃあイメージが湧かないヤツはどうするんじゃい、てお話もありますがそんなヤツはおらん、で済ませたい所存。だってぇえええ、イメージ湧かなきゃ絵も描きたくならないでしょ?そうじゃないかなぁ、フツー。そう思いますよ?イメージ無いけど絵だけは描きたい心境がワカランので、こう考えざるを得んです。
キミはなにか。絵を描かないと死んでしまうのか。ドクタースランプのバイク小僧か、キミは。
でも良く考えればいたなぁ、そういう人。ジャクソン・ポロックという画家がアメリカにおりましてな。ドリッピングという手法の人でした。缶の底に穴を開けて、絵の具を撒き散らたり、ぽたぽた垂れる雫で描いてた人なんですが、飲酒の上、車で立ち木に激突して亡くなります。末期には自分の絵画の方向を見失って創作活動ができなくなっていたようです。ウワサでは「絵が描けなくなったから自殺したのだ」て話もあります。典型的に「生きるために描いた、描くために生きた」人なんでしょうかね。閑話休題
papaさんが「完成度高いなぁ」と思う場合は「絵で何を伝えようとしているか。どれほどの強さでそれが伝わってくるか」が高度に完成されている時ですかね。その高さが何処いらへんかは色々あるんでしょうけど。これは描く技術には関係ないです。幼児の絵でも完成度の高い絵は高い。技術のある絵でも低い物もある。
ちょっと解りにくいか。
まあ、勘で掴め。フォースを使うんだ!(笑 何にせよ、見る人の心になにか訴えかけられたら最高ですよね。

絵柄の完成度って

デラベッピンレベル4さんあさぎさんにコメントした(したっけ?したよね?)件なんですが、書いたとおりお二方ともにその絵柄の完成度は高いと思うんですよね。ある程度出来上がっちゃってる。デラさんの場合はそのプリミティブな線が特長であるので、もはやデッサンとか関係ない世界になってます。関節がどうとか指が何本とか関係ない。うにょーんって手が伸びて物を掴んだって普通に見られると思います。あさぎさんにしたってそうです。線の強弱にしてももう確立した描き方を持ってらっしゃる。おそらく、その絵柄の中では何でも描けるんじゃないか、と思ってます。そして大切な事はお二方とも「誰にも似ていない」ということです。そして、それはpapaさんが目指してきたこと。目指していること。papaさんも独自のキャラクターと独自の線、表現を目指して来ました。そしてある程度は達成できたかな、と思っています。でも同時にお二方が感じるのと同様の不安も持っています。

上達するってなに?おいしいの?

おいしいに決まってるやんけー!ところがそれが解らない。誰と比べられるワケじゃないですから。だって「誰にも似ていない」んだもの。似てたら劣化してるんだもの。アドバイスを受けようたって早々簡単にはいかないですよ。まず、アドバイスされた内容が「自分の絵柄を崩すものであるかどうか」判断してから取り入れるかどうか、決めなきゃいけないし。その判断が正しいかどうかなんて解りゃしないのにです。間違ってたらどうすんだ、オレ。特にデラさんのようなプリミティブな線の絵は「達者になりすぎない」事も大切なことになりますから。
そんじゃあ、上達したかどうかどうやって判断すりゃええんじゃー!とか叫びたくなるでしょう?papaさんも叫びたいです。どうすりゃいいのさ、このわたし。夢は夜開く。ばいウタダの母。
冗談はさておき、参考になるかどうか解りませんが、papaさんは上達よりも「絵柄をアップデートする」ことは心がけたいな、と思ってます。個性を保ちながら、時代の流れに出来るだけ合わせた要素を取り入れること、でしょうか。他の人の絵を見るときはそれを探る意味が大きいです。「今はどういった絵柄が流行りなんだろう?どういう要素を取り入れれば現代的な画面が作れるんだろう」と考えながら他の人の絵を見ています。んで取り入れられる所は取り入れる。もちろん、自分の個性や資質に合わないものは取り入れません。それは自分の絵柄を壊すことになるから。(余談ですが、若いうちは壊して作り直すのも手段としてはアリ、です。より高みに行けるかもしれません。)その辺を心がけてみるのはどうでしょうか。

具体的に

あさぎさんはもう少し動きを表現する手法を考えたらいいかな、とか思っていました。もうすでに実行してらっしゃるようですが。デラさんはもう少し画面にキッチリした線を取り入れたらいかがでしょう。人物はそのままで。背景とか物とかを定規で引いたようなキッチリした線でつくってみるとか。とか書いたらもうやってらっしゃる。トホホ。やっぱアタマ悪いな、オレ。
papaさんは今は「プリミティブに画面を構成する」事を心がけています。コケオドシの技術をひけらかさない。主張すべきものを集中して描く、ことです。お互いがんばりましょう!

最後に

東京都の非実在青少年の件ですが、papaさんは「もうどっちでもいいかなー。いや、いっそ規制されてみればー」とか「公権力に監視された創作なんて有り得んわなー。ウザいなー」とか思ってます。規制したい人達にも「あのねー、創作者の自由が侵害されるってどういうことかわかってんのー」とか思うし、反対する人達にも「オレらの自由が誰かの自由を踏みにじるとしてそれを許容するって意味がわかってんのー」とか思います。正直ダルいです。いじょ。