papaさんの昔話。

では、約束したpapaさんの昔話を。

創作を志して

思いっきり小さい頃のお話は省きます。マンガを描き始めた頃のpapaさんは大雑把に言って、「他力本願」な人でした。これは今でもそうかもしれん。だから、高校生の時は「大学に入ったらマンガが描けるようになるかな」学校に入ったら「サークルに入ったらマンガを描けるようになるかな」そう思ってました。でも実際に描き始めたのはサークルを離れて学校もなんとなく遠ざかって、一人になってからでした。
どうして遠ざかったのか。学校のお話は省きます。サークルは単純に存在を無視されていたから。作品はいくつか作ったんですが、今思えば方向性の定まらないpapaさん的に言えば「力の無い」作品でした。ま、初心者ですからしかたがない。でも、papaさんは何か反応が欲しかった。当然聞きまくりましたよ。wまぁ、それでウザいヤツと認識されちゃったんですな。何作か作るうちに次第にpapaさんの創作も方向が定まり始めます。今の作品のような感じに。しかし、周囲の評価は変わりません。今ならそれを当然として受け止めますが、当時はそうは思えなかった。自分の作品が大好きだったからです。(それは今でも変わりません)

夢の跡地2

当然、papaさんは周囲の状況にその原因を求めます。当時のアマチュア創作はhttp://d.hatena.ne.jp/KIM625/20090210/1234257655、で書いたような状況でした。papaさんの目には、その状況は可愛い女の子を描く事が創作であるかのように写っていました。本当はそんな事は無かったんですけど、そう思えるほど心に余裕も無かったです。一時は商業誌を賑わした「ニューウェーブコミック」もそんなマンガに駆逐されたかのように写っていました。もともと、そんなに商業に乗るようなタイプのマンガでもないにもかかわらず、です。サークル仲間と会う度に、商業誌批判、アマチュア創作批判をぶっていました。その結果、papさんはますます孤立していきます。
そんなこんなで学校を卒業し、会社に勤め、papaさんは次第に追い詰められた気分になります。もちろん、盛大にブチあげた自分の理屈にしたがって行動できない、創作できない自分にです。作品も作っては酷評される、もしくは無視される始末でした。あまつさえ、周囲にはpapaさんよりウマいやつらがゴロゴロいたんですよ。papaさんは筆を折りました。マンガを描くことを一切辞めてしまいました。道具も捨てたと思います。

それでも生き永らえて

その後は普通にお仕事をして生活を続けます。アタリマエですが、夢破れても続くんですよ、人生ってやっかいなヤツは。無理やりに終わらせない限りはね。お仕事である程度の成果もあげ、会社での評価も定まった頃、ふとpapaさんはムナシい気分になりました。歌のセリフじゃないけれど、思えば遠くに来たな、と。そんなある日、のほほんとネットで動画を見ていて、自由に創作している人達がふとうらやましくなります。オレも描きたいなぁ。昔は描いてたのになぁって。でももう歳だしな、恥ずかしいな、と思っている所へ、いしいたけるさんのホームページを見つけます。動画サイトにあげてらした動画から見つけました。そこに書かれていた「スローマンガポリシー」にpapaさんは感銘を受けました。興味が湧いたら、左のリンクからいけます。マンガが好きなら一生マンガを愛していこう、何物にも縛られず自由に創作しよう。もちろん、自分自身にも縛られることなく好きなものを描いていこう。そう思ったからこうして創作しています。だから、papaさんはどっちかちうとルールに縛られるのは好きくありません。あと、時間で区切って描くのもキラい。w

立っている場所

マンガを描くって解らないことだらけです。少しづつでも上達したいなと思います。だからここにいる。目の前から消える人はいるけれど、みんなきっとどこかで創り続けている。オレ一人じゃないんだなぁ。そう思うからpapaさんもがんばれます。あなたもどうですか?お好きでしょ、マンガ。長く楽しみましょう。急いじゃもったいないですよ。